[ちょっと昔のハナシ] 夢のキッカケ

僕は調理師をしています

今回は僕が調理師になったキッカケなどのお話を書きたいと思います

始まりは幼稚園の時

僕は大阪出身で子どもの時通っていた幼稚園でお泊まり保育があったんですね

そしたらお昼ご飯にみんなでカレーを作ったんです

思えば実家で親と料理したり、そのお手伝いをした事ってなかったんですよね

(母は専業主婦でしたし、料理も手作りで作ってくれていましたが、一緒にっていうのがなかった)

その反動なのか、『料理楽しい!!』ってすごく鮮烈に記憶に残ったんですね

 

それに加えて、それこそ毎日のように遊んでいた幼馴染の叔父さんがうどん屋さんを経営されていてね、筋肉モリモリで腕に捕まるとそのまま振り回して遊んでもらったり

叔父さん=うどん屋さん≒料理人「かっこいー」って思ってたんですよ
その証拠に幼稚園の卒業時に将来の夢を録音したテープには「うどん屋さんになりたいです」って言ってましたから

その頃から思って今に至ってるんだから大したもんです(形は置いとくとして)

それともう一つ鮮烈に記憶に残っているのが大根の味


写真は。。。ソラマメ (笑)

僕が通ってた小学校は都会のど真ん中にあるんですが(父が子どもの頃は田園風景ど真ん中だったそうです)学校に「自然園」というかなり大きな森があり中には川が流れて池があったり、野菜や米を栽培できる畑がある、今思えば凄く恵まれた環境でした
(夏場川の狭いところを飛び越えようとすると落ちちゃって靴の中にカエルの卵が 笑)

そこでですね、大根を育てたんですよ
それで収穫の時、スライサーで薄切りにしてマヨネーズで和えて食べるんですね
それが美味しすぎて感動しちゃって 笑
要は採れたての味って事ですね

採れたての大根の瑞々しさが本当にすごくって、もうその味と食感が感動的でした

月日は流れ、頭では「料理人になるんだ」と想っているもののうちでは何もせず 笑(色々と環境って大事ね)

「料理の鉄人」の道場六三郎さんを見て和食に憧れ、「中華一番」という漫画を見て中国料理に方向転換

そして仕事は四川料理からスタート
(関西でもトップレベルの個人店でした)
その後不器用ゆえに(手先は器用です(*´∇`*))色々と挫折したり、いろんな料理ジャンル(和洋中・ベトナム料理・炭火焼鳥・cafeなど)を経験したり、店を作ったり潰したり(会社のも自分のも)

僕は「日々お店で料理を出し続ける料理人」としてはね、過小評価ではなく2.5流くらいに思ってます。
良くも悪くも飽き性、思い立ったように動くので毎回料理が微妙に変わる(味付けと言うよりはトッピングや盛り付けを変えて印象を変えちゃう)
今思うと使いづらいスタッフや上司だったと思います

そんなこんなで自分を理解してきたので、今は料理については一人で動く事を基本にしたりしてます。それがちょうどいい感じにハマっているんで合っているんだと思います
(内容によっては誰かと組むこともありますけど)

僕は「料理人」「料理の先生」「スパイスの売人」 と3つの顔を持って動いてますが、とりあえず今のメインは「スパイスの売人」笑ですが、「料理の先生」としてもレベルアップしたいし(今は場所の関係でちょびちょび動いてる程度)「料理人」としての部分も時期を待って復活させたいなぁと想ってます(*´∇`*)

 

そうそう、夢のキッカケの話でした

僕にとって夢のキッカケってこんな感じでした

ちなみに夢持て夢を仕事にしろ!なんて人に思わないし押し付けるつもりもありません
そこはそれこそ人それぞれだしね

それに夢に想った事を仕事にするのって、凄く素敵だけど一方でうまくいかない時のしんどさは中々な物です
だって「あきらめる」っていう選択肢がなかなか選べるものではないんですから

あとは個人の技量だったり環境だったり色々ありますしね

ただ、時にはそこから離れたり、カタチを変えながらでも続けていると、いいことあるよねって最近は想います

ちなみに僕は自分の料理で誰かを喜ばせるより、料理を教えたり商品を通してそれを使った人の周りの人が喜んでくれる方が嬉しい・楽しい♪

とまぁこんな話でも誰かの為になれば嬉しいですねぇ♪

んーまとまりがない、僕に文才はないですね 笑

最後まで読んでくださりありがとうございます♬

タグ:

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です