「危険性」と言う言葉の危険性

こんにちは、タルイユウスケです。

情報過多が言われて久しいですが、「あれは危険だ」「これは危ないかもしれない」
僕は「研究者」ではないから本当のところは「わからない」んですが、どうも危険性ばかりを深堀りしすぎて「研究者の皆さんはどこ向いているんだろう?」って思う事しばしばです。

「危険性」という煽り文句

危険性と言う言葉は、薬の危険性、遊具の危険性など色々な時に使われます。
ただ特に「食品の危険性」については、ヒステリーか?と思ってしまうような、偏った煽り方としての使い方が多い気がします。特に添加物とかね。ちゃんとメリットもあるのに。

逆にスーパーフードとかはほめ過ぎな気もしますが。。。まぁそれも商売ですからね

 

バズらせるのが目的

そもそも、その発信者は何のために発信しているのでしょうか。
危険性ばかりを煽る発信者の多くは、何かを売るためだったり、注目を浴びて閲覧数を伸ばすことで収益を増やすビジネスモデルです。
そのため、その食品のメリットは伏せ、過度に危険性を煽り、注目を集める。

嘘の情報を流すのはダメですから、情報としては参考にすることはいいと思うのですが、情報の発信者のそういう都合・思惑もあるんだというのを念頭に情報に接するといいと思います。

もちろん、純粋に利用者のことを思って情報を届けようとしている発信者もいるとは思うんですが、それでもそのうち視聴者を集めるためにドンドン過激な表現になることもあるかもしれません(僕もそうならないように気を付けないと)

 

作用があれば副作用もある

どんなものであれ「作用があれば副作用もある」と考えておくことが、この情報過多な社会に絶対的に必要な視点なんじゃないでしょうか?(作用=利用者にとっての利益、副作用=利用者にとっての不利益)
人は不安になるとそれを回避するために消費行動を起こしやすくなります。
「危険性=副作用」の部分だけを抜き出して書くことで、それを回避するための商品に誘導する(作用の方が多いものでも)
回避するための記事に誘導している。
そういうもんだと、思っている方が僕はいいと思います。

 

「作用と副作用」例えばの話

例えば夏場に旬のキュウリ。

ウリ科の野菜は体温(火照り)を下げて利尿作用で体内の水分の循環を促します。
この場合いい面だから作用ですが、冬場になると体温を下げてしまうので副作用になります。

その食品を摂ることで起こる「効果」は、その摂る人の状態で「作用」にも「副作用」にもなります。いくら某テレビ番組で「この食品がいいぞー」って言っても、摂り過ぎれば毒だし、それよりも「普段の食事」がちゃんとしてないと大した意味はないと思います。

 

西洋医学と東洋医学 違う視点で見ると

〇「あれは危険、これも危険」の多くは、食品や含まれる成分を単体で、作用を調べる西洋科学的な視点で見ているものが多いでかと思います。

「あれこれの成分が含まれているから危険!」って言う言葉だけが独り歩きして、「いい部分=作用」に対する視点を欠いた情報になりやすくなります。

〇一方で、体は多くの要素によって作用しあいながら作られています。
色々な体の変化について、摂った食品や使った薬品の作用を総合して実際に体に出てきた反応「事象」から見ていく。
これは全体に対する変化で見ていく東洋医学的な視点だと思います。「医食同源」とも通ずるものです(まぁ、伝統的な医食同源には西洋医学的にはあり得ないことでアヤシイ民間療法と言えるものもあるらしいですが)

つまるところ「現代の情報は西洋医学的視点の情報に偏っている」という事です。

 

二つ以上の視点を持つ

西洋学には西洋学の。

東洋学には東洋学の。

それぞれいいところがある。

そして今はちょっと偏りすぎ。

その視点だけ少し持って情報に相対するようにできると、ちょっと気が楽になるかもしれないなぁと思うわけです。

参考に、こちらも是非お読みください。
情報に振り回されないただ一つの方法
今回はすこし小難しい話をしました。 感想・コメントあればお気軽にくださいませ。 リクエストもお待ちしています

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